2015年5月5日火曜日

都市計画紹介1:未来派

建築の未来派、って知ってる人も知らない人もいると思うのですが、少しだけ。

イタリアの詩人マリネッティさんから始まったもので、急進的な芸術運動でした(初めは。)
建築なので、最初にドローイング(イメージ)を見せておくと、こんな感じです。美しいです。





これらはアントリオ・サントリー二( Antonio Sant'Elia )さんが書いた新しい都市(La Città Nuova )という表題のもので、勿論実現してないのですが、日本は段々これに近づいてるよなぁと思いました。
そもそもこの未来派が収束して近代主義(「豆腐」を切ったようなと揶揄される面白味のないスーパーブロック建築。均質な四角い白いコンクリートの箱という意味)の機能性重視となったのです。
戦後日本の最盛期に大活躍した建築家(モダニスト)が沢山似たような建物乱立した後に、未来派に戻ったのかーと思うこともできるような気がしますし、また違う時代だよ!と言われればそうだなぁとも思います。
当たり前ですが、ルネッサンスとマニエリスムは違いますものね。時代は逆行はしないのかもしれません。

ところで。
十分すぎるほど発達してきた日本の交通網はどこで落とし前をつけるのでしょうか。
リニアは勿論すごいことだとは思いますが、新幹線網が伸びるのも良いことだと思うのですが、交通網引く前に景観形成したほうがいいんじゃないのかと、たまに不安になります。

中高生時代に星新一のSS小説(SSでSF。すごい面白い)に嵌って読みふけっていましたが、そこには究極に交通網が発展した未来として、全ての建物間をパイプでつなぎ、人間はカプセルに入ってあらゆる場所に運ばれるというものがありました。
断っておきますと、星新一がこの話の中で揶揄(というか皮肉)してるのはこの交通システムではないです。が、この話において自分の心に響いたのはこのシステムでした。究極の歩車分離ともいえる気がします。
因みに一つの話の中だけではなくて、いくつかの話に同じシステムが出てきて、ある話ではカプセルの大きさが人間の体のサイズに合わなくなり、(人間が成長しすぎて)システムを再構築するという話があります。
人間が道を歩かなくなったら、景観なんてもう関係ないんですが、均整化する都市には些か悲しいものがありますね。
自分は建築畑出身なので、グランドレベルの大事さ、つまり一階の重要さはしつこく製図の授業で習ってきました。安易に陸橋など架けようものなら、「何故ここに通路が必要なのか」「何故それを一階に作れないのか」を只管追及される問答の時間が用意されていました。
それもこれも、人が歩いてこそなんだなぁとか・・・・。

日本はいいところが良い、見どころのある、特徴のある、まちがたくさんあるのです。そして、その建築には環境共生への知恵が詰まっていたりするのです。簡単に言うと縁側とか。
攻殻機動隊とかメカニックなものが大好きなのですが、古き良きとそういうものは反発しないでやっていけると思うのです。未来派の都市計画も面白いけど、結局はケースバイケースで適用すべきなのだろうなと思ったり。少なくとも、品川・名古屋・新大阪あたりがこんな感じになるのはおもしろいかと。

・・・・早く働きたいなぁと思う今日この頃。

0 件のコメント:

コメントを投稿