2014年12月1日月曜日

建築紹介4:瞑想の森 市営斎場

設計者、伊藤豊雄。岐阜にある葬祭場です。
屋根が独特ですね。

2013年の秋の写真です。
周りは山と田圃です。
もともとここは、公園墓地でした。





































柱が独特。これどうやって設計したんだろうなぁ・・・設計プロセス見てみたい。




入口。外側が全部ガラス張りなので、証明なしで、とても明るいんですよね。



火葬場。私の知っている普通の火葬場より、とても明るかったです。
告別のシークエンス的には、この前に部屋を二つはさむんですけど、そこは自然光の入ってこない空間なんです。で、火葬場に来て、ふわっと明るくなる。


待合室からは、大自然が望めます。


ため池が山を逆さに移して、物思いにふけるのには絶好のスポットなのでしょう。


一応庭みたいなところを一周できるようにはなってるんですけど、建築屋さんホイホイであって、一般の人向けではないような。

仙台メディアテークとか、伊藤豊雄の作品は建物の構造についつい目が行きます。

自然と一体化した葬祭場は最後のお別れの場所として、参列者の心を癒してくれそうですね。

まち紹介:ルッツェルン(スイス) 後編

ルッツェルン最終回です。アルプスのことばっかり書いてましたが、まちの名所くらいは紹介しなくては。
基本的に歩いて回れる感じです。中央駅から徒歩1時間圏内に観光名所があって、それより先は住宅地なイメージ。トラムも走ってるんですが、使わずでした。

トラムにのるなら、中央駅のインフォメーションセンターで時刻表と料金表もらってくると良いかと。



さてさて、ライオン記念碑(Löwendenkmal)ですよ。

かの有名なフランスブルボン朝、マリー・アントアネットとその夫ルイ16世とその子供を守り戦い死んだスイス衛兵の記念碑です。
心臓を矢で貫かれた瀕死のライオン(スイス衛兵)は盾(王と家族)を守っています。

勿論スイスは永世中立国になる前からずっと中立なので、衛兵はやとわれ衛兵なのですが、多くの衛兵が逃げていく中、王に忠誠を誓い、死ぬまで戦った彼らの勇敢さがこの記念碑に現れています。

余談。
マリー・アントアネットはオーストラリアハプスブルク家の生まれ、本名マリア・アントニアなのです。
当時の王家はフランス語を話せることが基礎教養だったので、母語はドイツ語といえど、普段はフランス語喋ってたと思います。スイス衛兵でルッツェルンから来てた人はドイツ語話してたと思うので、そういう言語的な意味でも、ルイ16世一家を守りたいというのがあったのかもしれません。ナポレオン(1世の方ね)が戦争してた時も相当数のスイス衛兵が戦ってるはずですが、こんな記念碑はスイスに建ってません。



こっちはその横の氷河公園(Gletschergarten)。公園というより博物館なんですが・・・・・。
あんまり高くはないですが、展望室があるので、ルッツェルンのまちが見えますよ。

あと行けてないので写真がないですが、スイス交通博物館(Verkehrshaus der Schweiz)、ピカソの美術館であるローゼンガルトコレクション(Sammlung Rosengart)、などがあります。

あと、ムーゼック城壁(Museggmauer)。城壁は普通の城壁なんですが、時計塔など塔が解放されてて入れます。


それと、ちょっと個人的な興味があって、泊まってしまいました。ヤイ・ホテル。
元収容所(監獄)をリフォームして作ったらしいホテル。写真は泊まった部屋のドアです。


見た目は普通。
ベッドはパイプで部屋は狭いので居心地は良くない(笑)
でも、ホテルのいたるところに監獄時代のいろんなものが飾ってあって、結構満足しました。
それにルッツェルンのホテルの中では駅近なのに破格に安かった。

あと、個人的にルッツェルンの店の看板が、好き。




こういうの見ると、わーヨーロッパだー、レンガと金属細工の対比が美しー、と思ってしまいます。
日本のウダツみたいなもんということで。



因みに一番お気に入りなのは白鳥と鴨が大量に居て、ジャン・ヌ―ベルの作品を見れる中央駅の対岸です。
何回か黄昏てました。(一か月以上の国外逃亡の後だったので、大量にタスクがたまってる日本に帰るのが億劫だったこともある。)

スイスには、自然の中でゆっくりしに行きました。
観光!!というよりは癒されたい人におすすめ、ルッツェルン。